アルパイン ブランドストーリーアルパイン ブランドストーリー
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16

大震災の中で、
力を合わせて。

東日本大震災とアルパイン<前編>

2023.08.18

2011年3月11日午後2時46分。

その日の午後、組立製造1課のラインリーダーだった真壁舞は、前年に発売されたビッグXのエージングと呼ばれる加熱検査をしていた。新世代のカーナビゲーションとして登場したビッグXは市場からの評価が高く、出荷台数が日々増え続けていた。評価の高い製品に携わることは真壁にとっても誇らしい思いがあった。

時計の針が2時46分を指した直後、真壁は手を止めた。「揺れた?」
細かい作業をしていると揺れには敏感になる。

次の瞬間、ドーンと大きな音がしたような勢いで建物全体が揺れ出した。「地震だ」と思ったのもつかの間、それは身構えた真壁の予想を遙かに超える激しさで襲ってきた。

床にしゃがみ込む真壁の横で作業用に熱を加えられた液状のハンダが、それを蓄えたハンダ槽の中から飛び跳ね出していた。東北全体を襲った大災害、東日本大震災の発生である。それは福島県いわき市を本拠地とするアルパインにも甚大な被害をもたらした。

周囲の重い設備が左右に揺れて、蛍光灯がパチンパチンと音を立てながら点いたり消えたりしている。何人かの社員が激しい揺れの中で、なんとか電源を切ろうとしていた。自分も何かしなければと思いつつ、何をしていいかもわからず、何もできずにいた。フッと見ると、作業中だったビッグXが無残にも床に転がっていた。

いわき市の観測で震度4以上が約190秒続いたといわれる震災だが、体験者にはそれ以上に永遠に揺れ続けるように思えた。

ようやく揺れが収まってきたタイミングを狙って、真壁は2階のフロアから飛び出した。だが、揺れの影響で防火シャッターが閉まっていた。戸惑っていると、男性社員が開けてくれた。「早く行け!」と言う声に押されて無我夢中で屋外の駐車場に逃げ出した。

 

 

社員たちは無事か。家族はどうか。

真壁たちが駐車場に着くと、そこにはすでに多くの社員が集まっており、工場長の松本和重を中心に、人員の点呼や被害状況の確認が始まっていた。松本は、周囲に指示をしながら、その合間に自動車のカーナビのテレビを見た。松本の目に飛び込んできたのは、驚くべき光景だった。そこに映し出されていたのは津波に呑み込まれていく仙台の姿だった。

「これは、ただ事ではない」。そう思った松本は、行動を早めた。その日のうちに災害対策本部を稼働させ、社員個々人への対応と工場の再稼働への取り組みを同時に始めたのである。アルパインには災害時の緊急対策本部の設定が元々あり、メンバーも決まっていた。だからこそ稼働も早かったのである。

まず社員とその家族の安全安否が何よりも大事であるため、全員の状況確認を始めた。それもただ安否を確認するだけではない。すでに津波の被害も広がっていたことから、海岸沿いに住んでいる人たちをすべてピックアップし、その状況を調べ、家が流された人たちへの対応として社員寮の開放なども即刻開始した。

その一方で震災当日の11日時点でライン復旧に向けての動きも行った。未曾有の事態に対し、何から始めるべきか、何をしなければならないか、優先順位は…といったことを社員たちと話し合いタスク表を作っていった。そして翌日からは、そのタスク表に従って復旧作業が動き始めた。

 

 

今できるすべてのことを、自分たちで。

大小の余震が続くなか、本格的なラインの復旧作業が始まったのは震災の翌日12日からだった。社内を点検すると破損は想像以上にひどかった。幸いにも火災は発生しなかったものの、天井のボードの剥がれ落ちや壁のヒビ割れ、部品や資材の落下、ラインの倒壊など…、自分たちの居場所が見るに堪えない状況になっていた。なかでも松本たちの気持ちを打ちのめしたのは、ハンダであった…。

基板製作に不可欠なハンダは、通常の作業時には270℃に暖められ液状にしてハンダ槽という大型容器に入れられている。震災があったのは14時46分、つまり工場稼働時のため、すべてのハンダは液状になってハンダ槽に入っていた。これが激しい揺れのために工場内に飛び散ったのである。当然、飛び散ったハンダは、すでに冷えて固まっていた。それを復旧スタッフが床を這うようにして削り取り続け、なんとか作業初日のうちにすべての処理を終えた。

さらに、また大きな余震がやってきても対応できるように、ハンダ槽には新たに液体ハンダが溢れないように囲いを付けた。転倒しやすい棚には補強の足を付けた。ただ倒れたものを起こす、壊れたものを片付けるといった作業だけではなく、それは一日でも早くラインを動かすための作業だった。

現実にはライフラインがいつ復旧するかもわからず、修理を依頼した建設会社が本社の指示で修理を請け負えなくなったりと、思うように捗らないこともあった。それでも社員たちは、指示が出たらいつでもラインを動かせるよう、その準備だけは進めたのである。まだ震災の余波も強く残り、家族の状況も不安定な中、出られる社員だけでもと集まった者たちが必死になって実質3日間で作業を終え、4日後の15日にはほぼ復旧の目処がつくまでに至った。

だがその時、彼らが思ってもいなかった事態が進行していた。福島第一原発の放射能漏れである。3月14日、そして15日の水蒸気爆発を経て、いわき市民の自主避難が開始された。

アルパインの復旧作業は、中断されることになった。東北震災とアルパインの社員たちのストーリーは、まだ始まったばかりであった。(後編に続く)