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ラインを
止めるな。

東日本大震災とアルパイン<後編>

2023.09.01

アルパインを襲った大震災。<前編のあらすじ>

2011年3月11日午後2時に発生し東北から関東にかけて甚大な被害をもたらした東日本大震災は、福島県いわき市を中心とするアルパインにも大きな被害を与えた。

アルパイン好間工場では松本和重工場長を中心として、震災当日に災害対策本部を稼働させ、社員や社員の家族の安全確保のために動き始めるとともに、倒壊した工場の復旧にも早々に取り組んでいた。だが震災から4日後の3月15日、福島第一原発の水素爆発を受けて、いわき市民に自主避難の勧告が出る。そのためアルパインの復旧作業も一時中止を余儀なくされることになった。

 

 

水がない工場で、社員たちは動き続けた。

自主避難勧告が出た後も、実際にはこの社屋から社員の姿が完全に消えたことは一日もなかった。自主避難期間中も誰かが何かの作業をしに社屋に来ていた。そうさせたのは、それぞれの責任感であり、自主性であり、そして胸に抱いた思いでもあった。生産計画グループのチームリーダーであり、労働委員会の執行委員長でもある石川光博もそのひとりだった。

震災直後、自宅にいた石川は迷っていた。会社の状況が気になってしかたないが、自分には家族がいる。水も電気も止まったこの家でなんとか暮らしている家族から離れるわけにはいかない。そう思っていた石川の背中を押したのは、他ならぬ妻の一言だった。
「あなたが行かなくて、どうするの! 家のことは大丈夫だから、会社に行って」。石川は心の中で妻に頭を下げながら会社に向かった。それから石川は朝の7時から夜の7時まで、ほぼ休みなく会社の復旧に努めることになった。

石川がこだわったのは、いかにラインを止めないか。通常アルパインでは2週間程度の在庫は確保している。だから1週間は止まってもなんとかなるが、2週間は止められない。アルパインのお客様は全国にいる。東北から遠く離れた九州や沖縄のお客様に迷惑はかけられない。石川の意識はひとつに向かっていた、「ラインを止めるな」。

だが、そのハードルは高い。まずはインフラだ。特に、水。幸いなことに小野町工場は地下水で運用している。問題は、ここ好間工場のほうだ。この事態にアルパイン本社がすぐに動き、直接電話でいわき市にインフラの復旧を要請した。「工場へ、水を!」。誰もが躊躇わない。やれることは何でもやった。購買部では津波に流された部品の金型を探しに行って、泥まみれになっている者もいた。

社屋の被害状況を調べてみると、上層階の揺れがより大きいことがわかった。被害状況も1階より2階、2階より3階が大きいことが判明した。このままでは、大きな余震が来た時に二の舞になる。それに気づくと、やはり躊躇はなかった。3階のライン設備の1階への移動が行われた。ライン設備の移動は、平常時でも大がかりな作業である。余震が続き、人手も足りず、インフラも不十分な中で、それでも誰も立ち止まる者はいなかった。

 

 

嵐の2週間を経て、ついに再開へ。

震災から10日ほどが過ぎ、インフラも徐々に復旧していく中、ようやく一部のラインが稼働し始めた。現実に起こった災害の規模を考えれば、わずか10日ほどで一部とは言え稼働にこぎ着けたのは自分たちでも驚きであったが、もちろん従来のように円滑にラインが動いたわけではない。

状況に応じて必要とされる製品を優先的に製造することになったが、製品を作るには、まず部品が必要だ。一台2000点ともいわれるカーナビの部品を完全に集めるのは、かなり難しい。逆に部品の揃った機種を優先して作っていく。だがそれも、まとまった数が確保できるわけではないから、今日はこれを何台、その後にこのモデルを何台、日ごと時間ごとで作れるものを作っていくことになった。現場は、新たな混乱と慌ただしさの中に投げ込まれた。

そうした過酷な状況をひとつひとつ乗り切り、石川たちが目標としていた2週間が過ぎた3月28日、アルパインはついに全ラインの業務再開を実現した。

未曾有の大震災に見舞われながら全社一丸となれたのは、強い団結力、困難に立ち向かうスピリット、強い責任感といったアルパインの企業文化が、創業以来、脈々と受け継がれてきている証左といえた。誰が頼んだわけでも、誰が指示したわけでもなく、全国各地のアルパインの社員たちが気持ちをひとつにして、この緊急事態に立ち向かってくれているのだ。戦っていたのは東北の仲間だけではなかった。

 

 

復旧作業の中で育んだ、新たな強さ。

驚異的な早さでの復旧を実現しながらも、ただ復旧するのではなく、余震や次の災害に備えて、アルパインの企業体質はより強化されることになった。防災用品や設備、自衛消防隊組織の拡充、さらには安否確認システム改善などといった、直接防災に関わることももちろんだが、さまざまな状況を想定して製造を続けるためのシステムの強化が徹底して図られた。事実、震災から1ヶ月後の4月上旬に震度6弱のかなり大きな余震が発生したが、アルパインの各工場ラインはほとんど停止することなく業務を再開している。

特に、復旧時に苦労した部品供給に関しては、サプライ・マネージメントの全体的な見直しが行われた。通常の部品管理に関する情報の詳細化や共有化・迅速化を行うとともに、万が一の場合の供給経路の確保など、サプライ・マネージメントと生産体制が一体化した強固な体質が生み出されたのである。

東日本大震災が日本を襲った同じ年の11月、タイで大規模な洪水が発生し、タイに工場を持つ多くの日本企業も被害を受けた。アルパインもそのうちの一社だったが、震災を機に構築された情報網が効果的に機能し、全体的な生産に大きな影響を受けずに済んでいる。そうしたことは、たとえば、その後の熊本地震や世界的なコロナ禍でも大いに役立っている。同じ轍は踏まない、二度と同じ状況に陥らないというアルパインの強い意志が、そこにはある。

震災はアルパインにも大きな傷跡を残した。それでもアルパインというブランドのストーリーは続いた。大自然の力に翻弄されながらも、人間たちが集まって、物語を紡いでいったのだ。